店長の東條です。

この度は、小さな小さな町の電気屋さんを見つけていただきありがとうございます。
当店にお問い合わせをする前に少しだけ僕のことを知っていただけると嬉しいです。

僕は1965年4月12日、父賢、枝美子の長男として生まれました。
小さなころの記憶といえば、3歳のころ国道11号線沿い(現県道33号線)の家で暮らしていたこと。母に聞くといつの間にか道路を渡って近所の家に行ってたようで、すぐいなくなるので僕の色んな所に鈴をつけてたようです。確かにいまだに母は色んな所に鈴をつけてます。

そして僕が2歳の頃、東條電機が誕生します。僕には記憶がない2階で作業をしていたということを今回初めて知ることができました。

小学校時代は病弱でよく一人布団で寝てました。暇なのでコンセントに針金を突っ込んで大やけどをしたこともありました。電気屋の素質があったのかもしれません。
多度津工業電気科を卒業し地元の企業に就職しますが、体調を崩し1年半で退職することになりました。父に話すと、一言

「手伝うか?」。

ここから僕の電気屋としてのキャリアが始まります。1985年10月1日20歳からのスタートです。当時は火災報知機の下請けがメインでしたが、業界の変化に飲まれながら電気工事全般を請け負うようになります。家族経営でもあり危機感もなく僕自身いわゆるお調子に乗ってる時代が続きます。

そして2010年6月、お調子にのったまんまの僕にこんなことが起きます。
めまいがする。まっすぐ歩けない。お箸がにぎれない。かかりつけ医に行くと「喘息です」と。薬を飲んでもよくならない。脳外科にいくと「ただのめまいです」と。このころすでに歩けない。そして医大で「フィッシャーマン症候群やな」と。何それ?心が崩壊寸前だった僕は体が崩壊することで一線を越えずにすみました。南アフリカワールドカップの年に僕は1か月寝たきりを体験しました。何にもないと思ってた僕でしたが、入院初日に部屋の外から娘の笑い声がしました。「パパ、神になっとるで」。患者のプレートの横には内科なら(内)外科なら(外)と書かれます。僕は神経内科だったので(神)東條勲と書かれていました。僕はあらためて家族を実感します。僕は死をも覚悟してるのに家族は相変わらずのんきで日常がそこにありました。憑き物がおちた瞬間だったかもしれません。妻は弁当持ってピクニックのように来るし、娘たちは心配もしないであまり見舞いにもきません。動かない故考える時間だけはたっぷりあります。この時間は僕のターニングポイントになりました。人間、一か月も考えると色々振り返ることができます。死をも覚悟した僕は「このままじゃだめだ」と。この時45歳。入院1か月リハビリ1か月。完全復帰には半年ほどかかりましたが、待ってくれてるお客さんがいたことに感動しました。

病気の前に儲けたい一心でFC契約をしたアトム電器。翌年2011年の1月の社長の訓示でアトムの経営理念に出会います。社長が半日かけてこの経営理念について話してくれました。これは毎年同じことを言ってるらしく、経営理念とは会社そのものであり、この理念を替えるときはアトムが無くなるときだと言っていました。社長は一度会社を失敗しててその後3年かけてこの経営理念を作ったそうです。この時は経営理念ってすごいんだなと漠然と思ってましたが、今の僕につながるとは驚きです。

2011年に東日本を襲う地震が発生します。
4tトラック2台分の支援物資が集まりましたが、「誰が運ぶの?」と。今までの僕なら「行きたい人に任せたらいいんじゃない」と当てられないように隠れていたと思います。でもその時はなぜか「僕行きます」と手を挙げることが出来ました。今までは、自分の頭の中だけで考えて終了!でした。なぜあの時手を挙げることが出来たのかは今もってよくわかりません。その後も何度も宮城県に行かせていただきました。三か月後、半年後、一年後、二年後。出会う風景も人も違いますが、復興に向けての思いを少しでも共感できたことで、自分自身の成長に繋がったことは紛れもない事実です。

経営理念をつくるとどうやら会社が儲かるらしい。
こんな話をどこからか聞いてきた僕は経営理念について色々と調べます。自分が生き残る道はここしかない。しっかりとした経営理念がある企業は理念を受け継ぐものも現れます。そうだ娘に継いでもらえるんじゃないか。始めはそんな甘すぎる動機でした。そんな時、商工会議所青年部のメンバーと話す機会があり「経営理念って凄いらしいな」となんとなく言った言葉でしたが、思いもよらないような熱い言葉をいもらい、「経営理念をつくるなら同友会で」という言葉もあり入会、そして経営指針を創る会に応募し、18期に初めて経営指針書を創ることができました。
経営理念、そして経営指針書を創るにあたり、改めて自社に向き合い、社員、家族、そしてお客様との関係をどうすればお互いが幸せで豊かになることができるのかを考えることが出来ました。

自社が地域にとってなくてはならない存在になるために必要なこと。それは一人一人の心の中の灯りをともすパートナーになること。あなたの心の中がぽかぽかになるよう、地域でお仕事させていただこうと思っています。

経営理念
『地域のあかり まちのでんきや』

有限会社東條電機サービス 代表取締役
アトム電器丸亀城南店 店長
東條勲